タローの日記

そこはかとなく書きつくる

カニクリームコロッケ

 カニクリームコロッケって、実際のところほとんど食べたことないけれど、なぜかとてもおいしそうな響きだ。名前の響きだけで、こんなにおいしそうな料理ってほかにあんまりないのではないか。フォアグラとか、キャビアよりも、おいしそうな感じがする。しかも、単にクリームコロッケといわれるより、「カニ」が付くだけで美味しさが2割増しくらいになっている気がする(まぁ気がするだけで、実際は「カニ」は分けて食べたほうが美味しいのではないかという気がするけど)。
 似たような料理としては、タコサンウインナーがあるかもしれない。単に、ウインナーと言われるより、タコサンウインナーのほうが、なんとなくおいしそうな響きがする。しかも、実際のところあまりタコサンウインナーを食べる機会は少ない。
 なぜ突然カニクリームコロッケが出てきたのかといえば、千鳥かまいたちアワーで、カニクリームコロッケをかけたバトルをしているのを見たからだ。罰ゲームとして「カニクリームコロッケ」がチョイスされるのが最高に良い。絶妙に嫌な罰ゲームだと思う。芸人さんの大喜利とかを見ていても思うけど、とっさのワードチョイスに、絶妙なセンスがあると感じる。これだから、お笑い番組を見るのはやめられない。

ドリルと穴

 要件定義をしていると、ドリルと穴の話がよくなされる。顧客がドリルを買いに来た時、そのままドリルを売るのではなく、穴をあけてあげることが重要だ、みたいな話だ。僕はこの話を聞くたびに、そんなことを言ったら、なぜ穴を開けたいのかという話になるではないかと思う。穴をあける理由が、壁にカレンダーを固定するための穴を開けたいことだとすると、壁にカレンダーを固定してあげることがゴールになる。なぜ壁にカレンダーを固定したいかと聞いて、今月のスケジュールを把握したいからだとすると、今月のスケジュールを可視化することがゴールになる。なぜ今月のスケジュールを可視化したいのかと聞いて、計画通りに物事を進めたいからだとすると、計画通りに物事を進められるようにすることがゴールになる。なぜ計画通りに物事を進めたいのかと聞いて、計画通りに物事を進めることで、自己満足できることだとすると、自己満足できるようにすることがゴールになる。
 こんな風に、突き詰めようと思えばいくらでも突き詰められる。最後には、幸福とか自由とか正義といった、抽象的な目標に行きつくのではないかという気がする。まぁ別にそれはいいのだけど、どこで止めるのが正解かが、出題者のさじ加減で決まるのだが、少々ずるい気がするなぁとおもうこの頃でした。

エレベーターが上下してるのって、外から見るとちょっと不安になる

積み上げる

 都会に行くと、高いビルがたくさんある。大阪にも、徳島ではありえない高さのビルが大量にそびえたっていて、なんとも見応えがあった。都会を散歩するときは、この高いビルを意味もなく見上げながら歩くのが好きだ。一時期東京に住んでいた時も、飽きもせず、上京したての田舎者みたいに、ずっと首を曲げながら歩いていた。やっぱり、高いものを見上げてみたいという修正が、人間にはあるのかもしれない。
 ここ最近、家の近くにマンションが建ち始めていて、徐々に階層が上がっていっている。だんだんと足場が詰みあがっていく様を見ているのは、人間の積み重ねの偉大さを感じられて、なかなか感慨深い。きっと、都会の高層ビルも、それをもう少し長い(あるいは大きい)スケールで組み立てたものなのだろう。見るたびに、「お前は何か積み上げているか?」と聞かれているような気がして、なんとなく気が引き締まる思いだ。ゆっくりでも、何かを積み上げないとなぁ。


あべのハルカス。頂上から謎の煙が!

ピザ食べたい欲

 たまに無性に、ピザを食べたくなる。熱々のピザを、ハフハフしながら食すのは、想像するだけでよだれが出てくるような光景だ。僕は子供の頃から、出前をとらない家庭で育ったので、子供の時にピザを食べた記憶はほとんどない。食べても、トーストピザみたいなお手製のやつだった。だからか、大人になってから、出前ピザを食べることに強い憧れがあり、シェアハウスに住んでいるときは、よくハウスの人と折半でピザを頼んだりしていた。大人になってから初めて食べたピザは衝撃的な美味しさで、以来僕は、定期的にピザを食べたくなる病に侵されている(他にも、ラーメン、寿司、焼肉などにも侵されている)。
 大阪に行ったとき、この病が発動してしまった。せっかく大都会大阪にいるのだから、本格的なピザ窯で焼いたピザを食べたい。そう思って、Google mapで探すと、出るわ出るわ、ピザ窯のオンパレード。さすが大阪。と思いながら、近所のピザ屋さんに直行した。席に着くと、目の前に求めていた本格ピザ窯が置いてあり、それだけでテンションが上がってくる。そういえば、ピザにはローマピザとナポリピザがあるらしいのだけど、僕はなんとなく響き的にナポリピザのほうが好きだ。イタリアに一度行ったときも、響きだけでナポリピザを食べたいと思っていたくらいだ(結局ローマからナポリが遠くて断念したけど)。あの時の雪辱を果たそうと、今回はナポリの名を冠するお店を選んだ。
goo.gl

 頼んだペスカトーレ(シェフのおすすめ)は、大変に高価だった(2200円)けども、その価値を感じさせる素晴らしい味だった。やっぱり、ローマピザよりもナポリピザのほうが好きだ。もうすっかりローマでピザを食べた時の記憶は色褪せてしまったけど、いま食べているペスカトーレには遠く及ばない味だった(気がする)。徳島でも、ナイスなナポリピザの店がないものか。

ナイスなピザ窯。見てるだけで⤴
そしてペスカトーレピザ。このふっくら生地がナポリの証(たぶん)

旅行の目的

 旅行って、行こうと思えばいつでも、どこにでも行けるということを、再確認するための儀式だという気がする。
 久々(半年ぶり位?)大阪に行ってきた。徳島からだと、3時間程度で大阪には行けるので、行こうと思えばいつでもいける。でも、普段出不精の僕は、全く遠出をしない。そんな僕でも、ずっと同じ町で暮らしていると、だんだんと息苦しい気持ちになってくる。旅行に行くと、一瞬だけでも外の世界が見れて、自分の自由さみたいなものを再確認できる。僕にとっては、旅行に行く目的はその確認にある気がする。だから、旅行はたまにでよい。日常的に行くと、それが日常になってしまいそうだから。
 当初は京都に繰り出してやろうかとも考えていたのだけど、結局大阪近辺でぶらぶらしていた。別に、神社仏閣にそれほど興味があるわけでもないし、非日常を感じられればどこでもよかったからだ。大阪は、僕にとってはいつも通り過ぎるだけの街だった。東京から四国に帰ってくる時、新幹線でそのまま通り過ぎるか、降りてバスに乗り換えるかだけだ。だから、大阪の飲み屋にも行ったことはなかったし、街をぶらついたこともなかった。今回初めてそれをやってみて、やっぱり大阪は東京とは違うなと感じた。一番感じたのは、建物内の施設が、色々とごちゃごちゃしていることだ。例えば、初日に泊まったサウナ付きのカプセルホテルでは、カプセルベッドのグレード選択・チェックアウト時間延長のオプションなど、細かい設定がたくさんあった。さらに、サウナに入るときにはくサウナパンツなるものが支給されたり(実際にはいている人はあまりいない)、やたらと風呂場のアメニティが充実していたりと、東京のサウナ施設にはない謎のごちゃつきがある。こういうごちゃごちゃしたのって、最近では分かりにくいと敬遠されがちなんだろうけど、僕は何とも大阪らしいお節介(いい意味で)だなぁと思って、笑いが込み上げてきた。また次も、このサウナ施設に泊まろうと思う。

Google マップ

大阪にいくよ

 明日は久々に大阪に行く。徳島から飛び出すのは、10月に東京に行った以来だ。いや、嘘ついた。1回神戸行ってるから、いうても2-3ヶ月ぶりだ。大阪に行くのは、仕事で呼ばれたからだ。コロナに入ってすぐにリモートワークになった弊社は、1年ほどは全く集まる機会もなかったのだけど、ここにきて集会の頻度が高まっている。3ヶ月に1度ほどは、謎の集まりが企画されるのだ。まぁお金を出してくれるのなら、こちらも旅行気分でいけるので気楽なのだが、弊社は交通費の支給が渋く、超過分は自腹になるので、できることならあまり行きたくはない。しかし、呼ばれてしまったら断れないのが、雇われの身のつらいところだ。
 断れないなら、最大限楽しんでやろう。ということで、土日で適当に大阪・京都を観光してやろうと画策している。ただ、具体的にどこに行こうと決めているわけではない。あ、でも、大阪のサウナ施設だけは絶対に行ってやろうと思っているけど。今回の旅で一番楽しみにしているのは、サウナかもしれない。徳島にはまともなサウナがないので、大阪の高級サウナで、最高の整い体験をしてくるつもりだ。全く、いつからこんなおっさんになってしまったのか。phaさんの、「どこでもいいからどこかに行きたい」を読んでから、試しにサウナに入ってしまったのがすべての過ちだったようだ(いい意味で)。

信用されるには

 僕は大概、他人の言うことをすぐ信用するタイプだ。本を読んでいても、なるほどなと思ったらすぐに考えを変えてしまう。仕事でも、プライベートでもそうだ。他人が自分と違う意見を持っていたら、大概流される。いや、正確に言うと、信用するというより、頭では納得していなくても、態度では賛同しておくというほうが正確かもしれない。書いていて、いかにも日本人的な態度だなと思ってしまったが、まぁ事実なので仕方がない。他人と衝突してまで、自分の意見を押し通そうとすることは、極めて稀なことだ。
 そうした僕の態度が幸いしたのか、僕は圧倒的に友人が少ない。LINEも、この前データが消し飛んで、いま連絡先として登録されているのは20人程度だし、一週間ほとんど誰とも連絡をとらないこともざらにある。きっと、腹の中では違うことを考えている、信用できない人間だとみなされてしまったに違いない(まぁそうなのだが)。どうしたらもっと信用してもらえるのか。きっと、思ったことを、正直に、素直に伝えることが求められるのだろう。でもそんなことをしたら、数少ない友人がさらに減ってしまって、お話しする人は、エア彼女のしのちゃんと、近所のスーパーの店員くらいになってしまうだろう。もう信用を勝ち取るのは諦めたほうがいいのかもしれない。