タローの日記

そこはかとなく書きつくる

本読んでたら土曜日が終わった

 今日は、森博嗣先生の「相田家のグッドバイ」を一気読みした。「貴嶋先生の静かな世界」よりも、自伝色が強いという情報をみて、これは読まねばと思って読み始めたら、時間を忘れて読みふけってしまった。やっぱり森先生の文章はなぜか引き込まれるものがある。今回の話は、森先生の家族感みたいなものが描かれていて、なかなか面白かった。
 やっぱり森家(本の中では相田家)は尖ってるなぁとはおもったけど、うちの家も意外と似ているところがあるかも、と感じた。例えば、僕の両親は、葬式は挙げなくていいし、墓もいらないといった趣旨の発言をしていて、その辺のドライさは似ていると感じた。最近は、ネットの力であらゆる情報が即座に伝搬することもあってか、以前よりもスピリチュアル信仰が薄れて、こういった死生観の人が増えているのかもしれない。少なくとも、昔よりはその傾向が強くなっている気がする(まぁ昔の事情を直接見てきたわけではないのだけど)。僕自身も、葬式やお墓なんていらないから、生きている人のためにお金を使ってくれたほうがいい、と思っている。だから、生命保険の営業マンに、「もしあなたが死んだら、葬式に○○万円かかりますよ。そのための備えが必要なんです」などと言われたときも、全く心に響かなかった。
 それでも、自分のことで余計な苦労をかけたくない、と思えるような相手は、家族以外にはなかなかいない。少なくとも、他人とは明らかに違う。やっぱり家族とか血縁というのは、いまの時代でも大きな意味があるんだなと再認識した。

近所のマンションがだんだん出来上がっている。積み重ねの力を見せつけられてるようで、なんだか身が引き締まる感じがする。

独り言

 同じことを繰り返して言うと、なんとなく強調されたような感じがする。例えば、「神!神!神!」とか、「にゃんにゃんにゃん」とか「ポムポムプリン」とか、まぁそんな感じだ。他人に同じ話を何度もすると、大抵煙たがられるものだけど(特に自慢話はそうだ)、独り言で呟く分には問題ない。僕は結構独り言が多くて、仕事中でも散歩中でも、いつもぶつぶつと何かを言いながら作業している。最近、この独り言の内容が、なんとなくネガティブな内容になってきていて、しかも繰り返していうものだから、気分が落ち込んでくる。例えば、「死にたい」とか、「ほんまにアカン」とか、「人生だわー」といった言葉がつい口をついてでてしまう。別にそんなに深刻に何かを悩んでいるわけではないのだけど、口癖のように溢れ出てくる。
 他人に聞かれても、確実にやばいやつだと思われるし、自分でもやばいと思っているので、これは早く直したほうがいい気がする。できれば、独り言を喋る癖自体を無くしたほうがいいのだけど、これはたぶん解消できない。とすると、無難な言葉に変えたほうがよさそうだ。一時期は「にゃんにゃん」とか言っていたので、こんどは「ワンワン」にしようかな。でも、これもやばいやつだと思われそうだ。周期表を上から覚えようとしているふりをして、「酸素ー」とか言っているほうが、知的にみえて良いかもしれない。

風花雪月面白い

 風花雪月を始めて1週間ほどたった。オクトパストラベラーの時みたいに、すぐ放棄してしまわないか非常に心配だったけど、今回は非常に楽しくプレイできている。非常に杞憂だったことがわかって、非常に安心している。非常だ(?)。
 僕は昔から、スパロボうたわれるものみたいな、戦略系のゲームが好きで、今作はもろにそれ系のゲームなので肌に合っている。FBは、烈火の剣だけはやったことがあったけど、あれからしたら随分と進化したものだ。ただ、今作は、最低でも3周の周回プレイをしないと、物語の全体像が分からない構成になっているそうなので、そこだけが若干不安だ。飽きっぽいので、1周した時点で満足してしまって、2周目に入れない可能性が高い。自分の人生の2周目だったら、記憶を持ち越せるなら絶対にやるのに。10年前くらいに戻って、ビットコインかテスラ株に資金を全投入して、億万長者になるのだ。まぁそんな稼ぎ方をしたら、その後の人生に破綻をきたしてしまいそうなのが少し心配だけど、僕は割と大丈夫だろうと楽観しているタイプだ。だから、宝くじを当てて逆に不幸になるみたいな話も、自分は当てはまらないだろうと楽観している。でも、宝くじが当たる未来は楽観できないので、買ったことはない。たぶん、自分のことだけ楽観しているのだろう。もっと悲観したほうがいい気がする(たぶんできないけど)。

AIで生成した風花雪月。だいぶメルヘンな感じになった気がする。

お化け屋敷は最初の映像がピーク

 たまに遊園地に遊びに行くと、その場のノリでお化け屋敷に入ったりする。一番記憶残っているのは、富士急の戦慄迷宮だ。戦慄迷宮は、界隈では有名なお化け屋敷のようで、非常に恐れられている(僕も誰かに恐れられている気がする)。僕は富士急には3回ほど行ったことがあるのだけど、そのうち1回だけ、戦慄迷宮に入った。確か、男4、女3くらいの人数構成ではいったと記憶している。そのうち一人は、そういうのが苦手な人だったし、他の人も過半数が怖がっていたはずなのだけど、なぜか行く流れになった(往々にして、集団になると変な決断をしがちだ)。
 まぁそんなわけで、戦慄迷宮に入っていったわけだけど、この手のお化け屋敷は、進むときの注意点とかを紹介するためにも、最初に必ず動画が流れる。戦慄迷宮にももちろんあった(たぶん。すでに記憶が曖昧...)。その動画の中では、注意点紹介はほどほどに、来る本番に備えて、こちらのボルテージを高めるべく、大いに怖がらせてくる。僕は正直言って、迷宮内を歩いているときよりも、この動画を見ているときが一番怖いと思う。というのも、これから体験するであろう内容を断片的に見せられると、こちらでいろいろと想像を膨らませてしまって、実際よりもさらに怖く感じてしまうのだ(ホラー系の小説を読んでいるときに、謎解きパートより序盤のほうが怖いのと似てるかも)。ちなみに、迷宮内では、お化けに「お勤めご苦労様です」などと喋りかけてしまい、全く本来の楽しみ方ができなかった(お化けにも迷惑をかけた。ちょびっと反省している)。今後は、最初の映像だけ見て、早々にリタイアしたほうがいいのかもしれない。

流行りのテキストから画像生成するやつで作ってみたイラスト。1分でこのクオリティのイラストできるのしゅごい...

平日だとおきられる

 平日は、夜遅く寝ても、なぜか朝早く目覚めるので不思議だ。やっぱり、労働への強迫観念が、そうさせるのかもしれない。僕は土日はいつも、昼の12時まで寝てしまっている。さらに、お出かけ先でも昼寝し、帰ってきて晩御飯を食べてからも寝ている。もはや、起きている時間のほうが短いのではないかという気さえしてくるくらいだ。そんな風に、土日は、スイッチが切れたように睡眠時間が延びるのだけど、平日だとその症状が抑えられるので不思議だ(まぁ昼寝したりはするのだけど)。
 この朝起きる症状をどうにか土日も続けたいと願ってはいるのだけど、思いは神に届かず、睡魔という魔物が襲い掛かってくる。神への祈りが足りないのかもしれないので、来年の初詣は、「土日も朝早く起きれますように」と祈ろうかなと今から考えている。神社に行くときだけ、一心不乱に祈りをささげる僕だけど、大抵、祈った内容を5分後には忘れてしまっている。そんな風だから、後になっても祈りが届いたのか届かなかったのかわからない。でも少なくとも、早起きの祈りはささげた記憶がないし、起きれてもいないので、どうやら祈りは届いていないようだ。お賽銭は出し渋るけど、気持ちの強さだけは誰にも負けないぞ!(たぶん)

2021年に初詣に行った時の写真。この時の祈りは届いたのだろうか...

もし大学院に進学していたら

 僕は高専(高校と短大がくっついたみたいな学校)から、3年次編入という少し変わったコースで、大学に裏口入学した。「裏口」といってるのは謙遜でもなんでもなく、僕が受けた学部は、ペーパー試験なしの、面接とプレゼンだけで入れるという、正真正銘の「裏口」だったのだ(AO入試みたいなイメージがわかりやすいかも)。面接時、僕は少しでも印象をよくするため、「博士課程まで進学します!」と堂々と宣言した。この時点で、博士まで行く気は正直なかったのだけど、そうはいってもさすがに修士までは行こうかなと考えていた。ちなみに、同期の3編生も、似たようなことを言って合格を勝ち取った人が多くいたけど、結局進学したのは、14人中3人程度で、あの面接の意味はほとんどないのではと思える。
 その後入学して、大学3年生の後半には卒業研究が始まり、同時に就職か進学かという選択が近づいてきた。僕は高専でも卒業研究をやっていた(とはいっても本当にお遊びのようなものだけど)ので、自分が自由な時間を与えられても、それを有効活用できないことを身に染みてわかっていた。そして、大学での卒業研究が始まっても、やっぱり身が入らないことを痛感した。たぶん、進学しても、クズみたいな時間しか過ごせない。それだったら、就職してしまったほうが、強制的に働かされる分、まだまともに過ごせる。そう思って、就職することにした。あのときそういう決断をしたことに、後悔はない。
 でも最近、「喜嶋先生の静かな世界」という、森博嗣先生の本を読んで、この本をあの時読んでいたら、もしかしたら大学院に行こうと思ったかもしれない、と思えた。
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 森先生は、大学の準教授から小説家デビューを果たすという、異色の経歴の人だ。僕は森博嗣先生のミステリーやエッセイが好きでよく読むのだけど、この本は数ある作品の中でも、一二を争うほどのお気に入りになった。以下、本の紹介文。

文字を読むことが不得意で、勉強が大嫌いだった僕。大学4年のとき卒論のために配属された喜嶋研究室での出会いが、僕のその後の人生を大きく変えていく。寝食を忘れるほど没頭した研究、初めての恋、珠玉の喜嶋語録の数々。学問の深遠さと研究の純粋さを描いて、読む者に深く静かな感動を呼ぶ自伝的小説。

 紹介文の通り、主人公が、学部・修士の研究を経て、研究の楽しさに触れ、研究に没頭していく様子が、この本では描かれている。森先生自身の経験に基づいているためか、その様子は読んでいるとこちらまで熱くなってくるほど楽しそうで、生き生きとしていた。別に竜を退治しようとか、勇者になろうとか、そんな凄いことが描かれているわけではなく、淡々と主人公の大学での生活や考え方の変化が書かれているだけなのだけど、なぜかその文章にすごく惹かれて、すぐに読み切ってしまった。残念ながら、僕は学部の卒業研究で、研究の楽しさを感じることはできなかったけど、この本を読んで、なんとなく、その一端に触れられたような気がした(実際の経験とは程遠いものだろうけど)。僕もいつか、なにか小さなことでも研究してみたいな。
 
いつも僕の駄文ブログにスターをくれるsansosanの誕生日投稿を読んで、ちょっと真面目に書いてみました笑。お誕生日、おめでとうございます!

営業トークに弱い

 外出しているとたまに、呼び止められて営業トークされることがある。僕は結構これに弱くて、ついつい話にのったり、いらんものを買ってしまったりする。今日はドコモの販売員につかまって、見事に(?)通信キャリアを乗り換えてしまった。
 僕は在宅勤務で、ほとんど外出しない引き籠り族なので、月のデータ使用量が非常に小さい(今月は1GB以下)。そういうわけで、できるだけ安く回線を維持できるSIMとして、これまで楽天モバイルを採用していた。楽天は、1GB以下は無料で利用できていたからだ。しかし、知っての通り、最近楽天モバイルがこの無料枠を廃止して、常に1000円程度の維持費がかかるようになってしまった。こうなると、楽天モバイルを契約するメリットはポイント倍率が高くなることくらいしかないのだけど、僕はふるさと納税の時くらいしか楽天で買い物しないので、乗り換えたほうがいいのかなーとぼんやりと考えてはいた。しかし、持ち前の腰の重さを存分に発揮して、検討すら全くせずに、楽天モバイルで放置していた。
 そんな時、ドコモ販売員のお兄ちゃんに声をかけられた。正直、「まぁ暇つぶしに話聞いてやるか」くらいで話し始めて、全く契約する気はなかったのだけど、話している間に見事に丸め込まれてしまった。このままだと、「5000万円のローンを組んで戸建て建てませんか?」みたいな話にも乗ってしまうかもしれない。とても危険だ。もう、お出かけはしないほうがいいのかもしれない。

マンションの建設現場。完売したらしいが、幸い僕は営業されなかったので買っていない。