GODZILLA 星を喰う者
GODZILLAの第3部見てきました! godzilla-anime.com
作画
6/10
普通に綺麗な作画でした。ただ、1部, 2部と比べて戦闘シーンも短く、全体的に単調な感じ。 ギドラとゴジラの戦闘シーンも、怪獣だからしょうがないんだけど、あんまり動きがない。 もっと3Dアニメの強みを生かした、動きがある作画が見たかった。。。
音楽
8/10
曲はいい感じでした。特に、ギドラ召喚のシーンなんかは、効果音・楽曲のおかげで、荘厳な空気が見事に表現されていると感じました。 また、やはり映画館で見たおかげか、低音がずんずんと伝わってきて、物語に没入できました。
脚本
5/10
はっきり言って微妙でした。 おそらくこの映画は、下記のサイトで語られているような、「ゴジラ」とはなんなのか? 「怪獣」とはなんなのか? ということを突き詰めたいのは伝わってきました。
しかし、幾つか腑に落ちない点があるのと、ラストが微妙だったので、個人的にはあまり刺さらなかったです。
- なぜハルオだけが特別なのか?
ハルオは数ある人類の中で、なぜ特別だったのか。メトフィエスの話では、強い意志を持つ人間の言葉や行動に人は導かれ、 その言動に一種の信仰が宿るのだということだった。 しかし、長い人類の歴史で、ハルオのような存在はいくらでもいたはずなのに、なぜハルオだけがギドラ誕生の媒介となりうるような特殊性を持っていたのかよくわからなかった。 ハルオの特殊性を物語るような伏線があると、もう少し納得感があったと思うのだが。
- なぜギドラはあのタイミングでないと召喚できないのか?
ギドラ召喚には下記のような条件が必要であるように見受けられた。
- ギドラ教(正確な名前忘れた)への人々の信仰心
- ギドラ教徒の生贄
- ギドラを召喚するに足る果実(ゴジラ)の存在
3が必要なのもよく分からないが、そういうシステムだということにすればまぁ納得出来る。しかし、1,2があれば召喚できるのであれば、ゴジラが生まれた時点で召喚できたのではないか? なぜメトフィエスはあのタイミングでないとギドラを召喚できなかったのか、その理由がよくわからなかった。
- ラストシーンについて
ラスト、ハルオがゴジラに突っ込んで自殺する。先の記事によると、その意味は以下のように解釈される。
つまりは、ゴジラがハルオの憎悪をもってこそ「ゴジラ」なのだとしたら(「怪獣」なのだとしたら)、ハルオの憎悪が消えた時、それは「ゴジラ」でなくなること(「怪獣」でなくなること)を意味する。
彼は、フツアの民に自身のゴジラへの憎悪が伝播する前に、唯一の「ゴジラをゴジラたらしめる者」として散っていった。自死を持って、憎悪を終わらせる。そうすることで、観念的に、ゴジラを「ゴジラ」や「怪獣」というステージから引きずり下ろすことに成功したのだ。つまりは、「ゴジラを倒す」という、彼の悲願が達成された瞬間である。
しかし、ハルオは元々、地球をゴジラから取り戻すために戦っていたはずだ。それなのに、そんな自己満足のために自殺したのだとしたら、あまりにメトフィエスに毒されすぎではなかろうか。途中までのハルオの人間的な感情がいつの間にか変化し、概念的にゴジラを倒すなどという、よく分からない高尚な感情のために自殺した。その変化をもたらした心理描写があまり感じ取れなかった。
総合
6/10
哲学的な話が好きな人は面白いと感じるかも。でも、自分にはあまり面白さは感じられませんでした。 でも作画と音楽は割と良いので、Netflixで出たら観ると良いと思います。