タローの日記

そこはかとなく書きつくる

今日は100点満点

 今日は100点満点だった。仕事のレビューがうまくいったのだ。一昨日くらいに、「資料作成をライフワークにしたくない」という記事を書いたけど、今日はそのライフワークの成果が結実したので、最高の一日だった。
 ところで、資料の肝は目次にあると僕は思っているのだけど、今回うまくいった資料の目次は、結局ほとんど上司に書いていただいた。現在の上司は、非常に有能で、僕なんかとは比べるのもおこがましいほどだ。どれくらい有能かというと、僕が水曜日の祝日に、アニメを見ながら1日うんうん唸って考えた目次を、一目見て欠陥を見抜き、20分で書き直したのだ。もうこれにはお手上げというか、自分がこうなれるとは到底思えない。単に有能なだけでなく、人間的にも尊敬できるし、マネジメントもうまいしと、もう文句の付け所がない(唯一つけられるとしたら、有能すぎて僕が打ちひしがれてしまうことくらいだ)。
 次の資料のレビューは、火曜日だ。土日はあんまりやりたくないけど、頭の片隅で目次くらいは考えておいたほうがいいのかもしれない。僕には上司ほど有能な頭はないけど、幸いにして下っ端なので、考える時間だけはたっぷりある。うんうんと唸りながら、何かを捻りだしていこう。

カレンダーを買った

 2023年のカレンダーを買った。今年1年、紙のカレンダーが欲しいなーと思いながら、毎日を過ごしていたので、少し気は早いがAmazonで来年の分をポチっておいた。これで来年は、カレンダー以外のものが欲しくなる一年になりそうだ。カレンダーを買ったのには、3つ理由がある。
 一つ目は、いまがいつなのか分かるようにするためだ。ずっと部屋に引きこもっていると、日付の感覚が希薄になって、ただただ毎日を過ごしてしまったりする。前後の日付を確認しながら、今がどれくらいの日付なのか把握できるようにしておきたいとおもった。今年はカレンダーがなかったので、もしかして13月2日なのか?などと考えながら過ごすはめになってしまった。来年は、今日がカレンダー上のどの日付なのか確認しながら過ごすことになりそうだ。
 2つ目は、今日やるべきことを確認できるようにするためだ。特に土日は、昼間まで寝た後、なんとなく図書館にいって昼寝するという、あまりにも自堕落な生活を送っていることが多いので、これをどうにかするために、カレンダーにやるべきことかきこんでいくつもりだ。今日がどこなのかと、やるべきことをかきこむことを忘れないように、注意したいものだ。
 3つ目は、部屋に彩を出したかったからだ。我が部屋は、彩という言葉から程遠い、殺風景な風景が広がっている(5mほどだが)。 そこに、彩を添えてあげたかったのだ。なんとなく添えられたような気がする。刺身を食べ終わった後、大根のつまだけの容器に載っているタンポポみたいな感じがある。そういうわけで、来年は心機一転頑張りたい(今年はもうだめです)。

2023年のカレンダー。世界のいろんな街の風景がみれるそうな。

風花雪月買ったぜ

 ついにFB風花雪月を買った。買おうと思ってから体感で5年くらいがすぎた(実際はたぶん2年くらいだ)。前々から知人・友人に、風花雪月は面白いぞという話を聞いていたので、スイッチを買った当初から、風花雪月をやる予定だった。それがまぁ様々な事情が重なって、結局買っていなかった(代わりに買ったオクトパストラベラーは1章の途中で止まっている)。ここ最近はずっとスプラ3をやっていたのだけど、僕の反射神経では勝てそうにないということが、何回か戦って明らかになってきたので、そろそろ潮時かなと思う。まだオンラインのライセンスが残っているので、それまでは持っておこうかと思うけど、年明けには売却してしまおうかな(自分でスプラ部なるLINEグループを立ち上げたのに、最初に抜けるのが少し心残りだが)。
 それはそうと、さっそくFB風花雪月をプレイしてみたのだけど、なかなか丁寧な作りで、没入できそうな予感がする。最初に、3つの国の中から、プレイする国を1つ選ぶのだけど、断腸の思いで王国にした(イングリッドちゃんが可愛かったことが決め手だ)。このままの勢いでプレイしていきたいが、どこまで持つだろうか..。僕は過去にも、ラスボス手前まで行ってプレイを辞めたりしたことがあるほど気まぐれなので、今回はそうならないことを祈るばかりだ。とりあえずこの土日、プレイするぞ(たぶん)。

反射をパッケージの光ってる部分に被せようとしたが、主人公の顔に被ってしまった...

資料作成をライフワークにしたくない

 資料の作成力がなさすぎる。最近仕事で毎日のように資料を作っていて、仕事が終わっても資料を作り続けている。本当に、資料を作ることがライフワークになりつつある。ただ、ライフワークだからと言って、質の高い資料が作成できるかといえば、必ずしもそうではない。少なくとも僕はそうではない。というのも、作った資料を上司に持っていくと、毎回ボコボコにされてしまうからだ。レビュー後は、ノックアウト後にマウントを取られてタコ殴りにされたのかというくらい、肉体的にも精神的にも疲弊する(肉体の疲弊は、主に言い訳をまくし立てたことによる喉の渇きにからくる)。
 何枚か資料を作ってきてだんだんわかってきたけど、目次が最も重要だ。これが、資料全体の構成というか、ゴールを規定するものだ。資料を使って何を語りたいのか、何を決めたいのか、目次を見てわかるようになっていないと、大抵その資料は欠陥がある。ちなみに、僕の書いた目次は、見ても何を語りたいのかさっぱりわからないという太鼓判をいただいた。たぶん、分かりにくい資料選手権を社内で開催したら、かなり上位に食い込めると、自信をもって断言できる(言うだけならできるからだ)。まぁこの文章からして、なにが言いたいのかさっぱりわからない、構成力という言葉からは程遠い駄文だ。資料作成をライフワークにするのは嫌なので、別のライフワークを探すライフワークを始めたいと今は思っている。

沖縄のスシローにはシーサーがいる。特に意味はないです笑

失敗について

 人間はミスをする生き物だ。僕もつい最近、間違えて読まない本を図書館から借りてきてしまった。それ以外にも、実行できない計画を立てたり、終電で降りる駅を寝過ごしたり、お絵描きで使うペンの太さを間違えたりしている。でも僕は、往生際が悪いというか、ああいえばこういうタイプというか、ミスをミスとなかなか認めないタイプだ。仕事上で何かミスをやらかしても、まぁなんとかなる、これはシステムが悪い、今日が仏滅なのが悪い、などと言って、ミスをなかなか認めない。
 これにはメリットもあるが、デメリットもある。メリットとしては、メンタルを保つことができる。ミスをミスと認めることは往々にして苦しいものだ。時には認めることが大事だけど、認める中にも、自分なりの認められるところを見つけておくことで、メンタルを保てると思う。この効能のおかげで、僕はこれまでうつ病と医師に診断されたことはない(人生の厳しさに打ちひしがれたことならたぶんある)。
 デメリットとしては、軌道修正がなかなかできず、何度も同じミスをしてしまうことだろう。僕は結構やりがちで、人から何度も言われていることでも、なかなか直せない。そんなときでも、「これはもう直せない、僕の性格だ」などと開き直っているので、もう始末に置けない。たぶん僕は、いつまでも同じミスをやり続けてしまう人生なのだろう。いつか後悔しないように、いまから後悔したときに開き直る練習をしておいた方がいいかもしれない。

闘うプログラマー読了

 ここ数週間読んでいた、「闘うプログラマー」を読了した。各所で名著だともてはやされていたので、どれどれと思って手に取ったけど、読んでいてこちらも苦しくなってくるくらいに、闘いの様が伝わってきた。舞台は1990年代のマイクロソフトで、次世代のOSであるWindows NTの開発プロジェクトに携わった、関係者たちの苦闘をまとめたのがこの本だ。現代よりもはるかに、コンピュータの性能も、周辺ツールも不足していた時代に、OSを作り上げるなんて言うことは、ちょっと想像しただけでとんでもないことなんだろうなと思える。実際、MIT卒みたいな、とんでもない肩書の人達が、朝から晩まで仕事漬けになって、血反吐を吐きながら作っている様が、この本では描かれていた。特に読んでいて苦しかったのは、リリースに向けた最後の数か月、潰しても潰してもバグがでてくるところだった(まるで、弊社のシステムを検証しているときのようだった)。時代が進んでも、結局のところ皆、バグに苦しめられるのだなと思った。そして、これから始まる弊社の開発プロジェクトのことを思うと、なんだか今から胸が痛んだ。
 それでも、このプロジェクトに参加していた人たちは、金銭という最大の報酬はきっちりと受け取っていたのだから、報われていたのかもしれない。少なくとも、誰も得しないようなゴミプロジェクトになり果てることはなかったのだから。

この前行ったつけ麺屋さん。うまかったー!

高専の寮は厳しかった

 僕は高専の出身なのだけど、2年生までは寮に入っていた(2年生の途中から、諸事情で寮を辞めて、通学生となった)。高専の寮は、伝統的に(?)、1年生に異常に厳しいルールが敷かれており、虐げられている。全国のどの高専も、大体そのような傾向があるとおもう(たぶん)。うちの高専もその伝統にもれず、1年生には様々な雑務が課せられる。例えば、食堂の掃除、(上級生のものも含む)ゴミ出し、風呂場の掃除、その他各種共有部の掃除など、寮内のあらゆる掃除をしていた(例外といえば、先輩の居室内くらいだ)。まぁこれくらいはどこの寮でもあることなのかもしれないけど、これに追加で、先輩への挨拶、週1くらいで開催される先輩からのありがたいお言葉を賜る集会(実態は揚げ足を取って後輩を怒る会だ)、やたらと厳しい時間管理、などなど、楽しい特典が盛りだくさんだった。僕が在学中でも、昔よりは随分緩くなったといっていたけど、いまでもまだあの時代遅れの風習を続けているのだろうか。1年生時だけは抑圧されていてちゃんとしていても、2年生になった瞬間に様々な義務から解放され、クズに生まれ変わっていく様は、いっそ爽快ですらあったけど(2年生になると、途端にみんな挨拶しなくなるのだ)。挨拶は社会に出てからも役に立つとか言っているやつが、先生には全く挨拶しないのだから、全く笑える話だ。
 僕の場合は、2年生から通学生になったので、完全に寮の柵からは解放された(通学生は治外法権なので、校内で先輩をみかけても、全く挨拶しなくてよい)。最初から通学生だったら、あの謎に厳しい1年生の寮生活を送らずに済んだのになぁと思ったものだ(まぁ寮生活で楽しいところもあったけど)。水曜日のダウンタウンで、「PL学園野球部 この世の地獄説」をみて、ふとそんな、高専の寮生活を思い出した。